僕がブラック企業を辞めてWeb制作フリーランスを目指そうと思った理由

僕は現在(2021.12現在)現職である呉服屋店長を続けながらWeb制作フリーランスを目指して学習と制作会社様への営業を行っております。
現在、制作会社様1件と契約して副業としてWeb制作(コーディング)のお仕事をさせて頂いております。

今回はなぜ現職を辞めてWeb制作フリーランスを目指したのかというところを書かせて頂きます。

簡単に結論だけ言うと、コーディングをしているのが楽しかったからです。
そしてコーディング、Web制作の仕事をするのに年齢的な要素もあり就職よりもフリーランスを目指しました。

今ブラック企業にお勤めの方、30代後半から転職を考えている方、Web制作を勉強しようと思っている方に参考になればと思います。

目次

1、現職に入社した経緯と入社してからのこと

2、なぜ現職を辞めようと思ったか

3、なぜWeb制作フリーランスを目指そうと思ったか

1、現職に入社した経緯と入社してからのこと

僕は神戸の大学に通っており、卒業後に新卒で呉服販売会社に入社しました。
なぜこの会社を選んだかというと、単純にここ受からなかったからです。
ちょうどリーマンショックの影響で就職氷河期の再来と言われた時期で新卒就職が非常に厳しいと言われる時期でした。
僕は法学部でしたが、特に資格もとってなく、やりたい仕事もない状態でした。
ちなみにパソコンも全くできなかったです。就職活動のために初めてパソコンを買って触り出した程度です。

大学時代はコンサート係員や古本屋のバイトをしており、仕事と経験は接客しかありませんでした。あと服が好きでしたのでアパレルの営業や販売の会社に対して就職活動をしていました。もちろんほとんど落ちてしまいましたが、その中で着物もアパレルかな・・という見解で呉服屋も面接を受けてみて今の会社に就職することになりました。

勤務先はショッピングモールに入っているお店で、店舗に来店するお客様への接客と、毎月開催する展示販売会への勧誘とそこでの販売がメインの仕事です。

呉服は平均単価50万程度の高額着物がメイン商材でしたので、普段なかなか売れません。なので毎月の展示販売会へお客様を勧誘しそこで販売をするというのがメインでした。

いざ入社をしてみたら当時はそんなに感じませんでしたが、今考えてみると限りなくブラックな会社でした。

勤務形態はシフト制では朝10時〜18時の早番と12時〜20時の遅番でしたが、新人は朝練と称して朝8時から出勤、18時上がりの日でも残って仕事をするのが当たり前といった雰囲気なので、毎日朝8時〜20時までの労働でした。タイムカードはシフト通りに押させられていたので全部サービス残業です。

休みも新人のうちは休まず仕事するものだと教えられ、出勤していました。当時は月の休みが4日、月間労働時間は300時間程度だったと思います。

社員はほとんどがご年配の女性で、お客様も同じくご年配の女性ばかりでしたので若い人はなかなか働きにくかったと思います。
女性だらけの職場なので、女性の職場特有の嫉妬、愚痴、文句などばかりでしたので若い男性はまだマシですが、若い女性はおばちゃん達から標的にされるので辞めていく社員が非常に多かったです。新卒の3年以内の離職率は95%程度でほぼ全ての新卒社員が辞めて行きます。^

僕がその中で辞めなかったのは、就活で苦しんだ経験があったのでここを辞めたらどこも雇ってくれないという思いと、辞めていく社員は裏切り者扱いをされる環境だったので裏切り者扱いされることが怖かった、それを乗り越えれるほど他にやりたい仕事もなかったからです。

なのでそのまま続けていき、気がつけば店長を任せれて10年ほど仕事を続けていました。

2、なぜ現職を辞めようと思ったか

コロナがきたことで現職の将来性に疑問を感じ、それに伴い自身の働き方に再度疑問を感じたからです。

高額ラインの着物がメイン商材。買いに来るお客様はほとんどおらず、毎月展示販売会を開催してそこに勧誘をしますが、呉服の展示会は行ったら買わされると警戒されるので簡単に人は来ない。売るためには対面でしつこく展示販売会の勧誘を行い、販売会では囲い込んで断れても勧めて販売をするというのが仕事でした。

対面での勧誘、対面販売が重要視されてきたので、コロナで展示会が開催できない、できても客が来ないという状況に陥りました。

ネット販売も行ってはいましたがメイン商材である高額な着物はネットでは売れず、そして従業員もお客様層もご年配の女性がほとんどなのでインターネットを利用しての商売は非常に難しい状態でした。

結局僕たちができたことはコロナ禍での訪問販売でした。もちろん訪問されて嫌がるお客様も多くいました。

そうした経験をして、現職の将来性に疑問を感じ始め、それと同時に自身の働き方にも疑問を感じるようになった。

月間労働時間300時間、年間休日70日。店長なので店にイレギュラーなどがあれば対応しないといけないので休日でも店に出たり、電話で対応したりと、全く仕事のことを考えずに休める日はなかったと思います。接客業なので土日、連休、お盆、年末年始は全て出勤です。趣味もなく、交友関係もなくなり、仕事のことだけしか考えられず気づいたいら10年たっていました。コロナになったことで自分自身の働き方にも疑問を感じ出すようになりました。

3、なぜWeb制作フリーランスを目指そうと思ったか

そうした思いがあり35歳から転職活動を開始しました。

ただ転職活動も正直上手くいきませんでした。

まず仕事を辞めたいという一心だけで何の仕事をしたいということは決まっていませんでした。転職の軸が全く定まっていなかったんですね。

転職エージェントにも登録しましたが、35歳という年齢もあり未経験の仕事は無理、今まで経験をした呉服関係、接客関係、サービス小売の店長職に絞られて転職活動を行っていました。活動を続けていましたが、正直どこも受かりませんでした。

僕自身も呉服関係はブラックばかりで考え方も古い会社が多いから嫌だ、接客も得意ではない、店長職は休めないという理由であまり積極的になれませんでした。

そこで自分は何をしたいのかを考えた時にパソコンで何かを作っている時が一番楽しいということに気づきました。

僕は学生時代はパソコンにほぼ触ったことがなく(就活で使ったくらい)、現職に入社してから本格的に使い出しました。現職がパソコン使えない社員ばかりだったので一番若い僕がパソコン担当になりました。まわりに教えてくれる人もいなかったので、自分でググりながら勉強しました。(と言っても、パソコン触ってるくらいなら営業しろという文化なのでそこまで本格的な勉強できていません。)

また、新しいこと、IT関係のことも好きだったので、パソコン + IT  = プログラミングだと思いITエンジニアになりたいと思いました。

そこでprogateからプログラミングの学習を始めました。

しかし、学習を始めたはいいがプログラミングこそ30代未経験では無理という話も聞くようになりました。

プログラミング自体は楽しく学習を継続していたのですが、先行きが見えなくなりどうしようと思っていた時に、Web制作フリーランスという存在を知りました。企業に就職するなら年齢が大きく関係してくるが、フリーランスなら年齢関係なくスキルを高めれば稼ぐことができる、Web開発よりもWeb制作の方がフリーランスになりやすいということを知り、Web制作を本格的に勉強使用と思いました。

その時、感化を受けたのはしめじさんのブログとラジオでした。

そして、フリーランスになるには独学だけでは限界があると思い、Web制作に特化した学習をしたいと思いデイトラのWeb制作コースの受講を決めました。

Web制作コースを卒業はエンド営業か制作会社営業かで迷いましたが、僕はコードを書くことが好きでコーディングに特化したいという思いがあったので制作会社と仕事をすることに特化したサービスであるCodeUpsを受講しようと決めました。

そしてCodeUpsで学習を深め、営業を始め現在制作会社様1社と契約をしております。

今はまだ現職を続けながらなので細々とWeb制作をしておりますが、現職を退職後はWeb制作フリーランスとしての活動を準備しております。

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